お祓い, ロゴストロン, 二項対立, 仮想現実, 意識進化, 言霊, 鎮魂

人生はレースなのか?

私たちは、生まれて成長するにつれ、ある頃から人生に「競争」があることを学びます。

それは、「◯◯ちゃんは、ダンスと、水泳と、英会話を習っているんだよ!」…とか、「あの子はもう補助輪なしで自転車に乗れる!」といった些細なものから始まり…。

競争社会とは、仮想現実である。

やがて、学力テストの点数によって、学年で順位を付けられ、受験戦争では常に見えないライバルがどこかに存在し、学歴によって相対的に自分のポジションを評価され、就職した企業によって、社会人としてのレベルを評価され…。

そして、私たちが結婚すると、今度はどの地域に住んでいるか、どんな家に住んでいるか、車は持っているのか、どんな暮らしぶりなのかと他者から評価を受け、家庭の中では、「◯◯さんは、今度ハワイに旅行へ行くようだ」だの、「△△さんは、今度自宅をリフォームするようだ」…など、私の人生は常に他者との比較で評価されているようにすら思えます。

…すると、人の中に「うちは裕福だ」だの、「うちは貧乏だ」といった他者との比較に基づく価値観が生まれます。

あなたはどうでしょうか?

しかし、それらは所詮「仮想現実」なんですね。私たちの中にある「競争」など、単なる錯覚にすぎません。

競争を仕向けるような世の中になっているので、単にそうしているのだということです。優劣があるかのように見せて、そこにマーケティングを仕掛けられています。

仮想現実を抜け、「私」を生きる。

「私」は「私」を生きれば良いのであって、第三者との比較において、私の本質的な価値が決まることはありません。

これが分かっていないと、ロゴストロンを使う時に、他者の決めた価値観を自分の実現したいものと勘違いしてしまいます。

私の価値観は、常に私の内側にあるのです。

もちろん、外からもたらされる情報によって、自分の価値観をアップデートすることはあるし、私たちの価値観は固定ではありません。

ただ、「あの人は持っていて、私は持っていない!…だから欲しい、必要だ!」というパラダイムにいては、決断の基準が他者にあり、自分の本心がどこにあるのかを見失ってしまいます。

ロゴストロンを扱う主体は、常に自分にあります。

すでに、ロゴストロンLなどをお使いの方はご存知だと思いますが、構文ファイルを入れ替えることのできる、Mシステムへアクセスすると、沢山のベーシックファイルが並んでいます。

これらのファイルは、七沢研究所スタッフの方々が開発したものです。それは、他者の価値観に基づいて記述されたものですが、それを自分の意志として発信するために、初めて使うベーシックファイルは、その内容を一度読んでから、ご自身のロゴストロンにインストールすることを推奨しています。

「意識進化」をして、「私」の人生を取り戻す。

僕の母は、日本がバブルに沸いていた頃、生命保険のセールスをやっていました。

業界に詳しい方なら良くご存知かと思いますが、月の売上に対する「ノルマ」があります。

「今月のノルマ…」と、毎日のように会社で話していたからでしょうか。母は、その仕事を始めてから、ほどなくして、帰宅してからも僕らに対して「ノルマ」を連呼するようになりました。「それがお前のノルマだ!」と。

僕は、そんなに他の人との競争には興味が無かったし、母が「勝ち組」的な発想を外から持ち込むようになったのが、とても嫌だったのを思い出します。

その当時は、単に母と考えが合わなかった…としか思っていませんでしたが、いま「意識進化」を学んで思うことは、やはり、僕には僕の人生があるということ。人との対比で人生を決めていくのではなく、自分は何をすべきかを考えて、今日をきちんと生きていくことではないかと思うのです。

ロゴストロンLを手にした当初は、そんなこと分かりませんから、自分の事業に対する成功ばかり願っていました(笑)。僕も見えない競争の中にいたのです。

しかし、この装置が何をするものであるかが分かってきて、まず自分を祓いと鎮魂によって整えていくこと。そして、自分がいま何を成して行きたいか、その意志を宣るものだと捉えています。

 

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