ロゴストロン, ロゴスプログラミング, 仮想現実, 意識進化, 現実創造

あなたはなぜアナタなのか?

why you ara a you itself?

あれは小学校くらいの頃だったか、実家に置いてあった三面鏡で遊んでいて、ふいに「なぜ、僕は僕なんだろう?…と感じていた時期があります。

どうして私は「私」なのだろう?

当時は、これと言って高尚な考えを持っていたワケではなく、友達の子が羨ましいな、とかその程度の考えから「どうして、鏡に映っているこの僕は、僕自身なんだろう?」と漠然と思っていたのです。いま鏡に映っているコイツは、他の誰かではなく、どうして僕なのかな?と。

きっと、あなたにもそうした経験があるかも知れません。

私たちの意識というのは、親とか、学校の友達や先生、テレビに映る芸能人、歴史上の偉人、最近であれば、インターネットの有名人など、様々な方面から影響を受けて形成されています。

人格が形成される過程において、言葉の習得と共に、外界から入ってくる言葉や仕草、考え方を自己同一化してゆき、やがてその集合体が「自分」であると認識していると思います。

言うなれば、自分という存在に薄いセロファンのフィルムをどんどん重ねて色を付けている感じでしょうか。子供が人格を形成していゆく段階では、誰かの言道をどんどん真似て、自分を大きく見せたい…とでもいうか、なりきるような経験をお持ちではないかと。

映画を見てヒーロー気分になるのはナゼか?

たとえば、男性なら、ド派手なアクション映画を見た後で、自分もちょっと強いヒーロー役になったような気分を感じたり、女性なら、ラブロマンスを主題とした映画を見て、恋する乙女になって映画館を後にした…といった経験をお持ちかも知れませんね。

…もちろん、それが悪いということではなく、現代は、あまりにも自由に、自在にそうした情報が私達の意識に飛び込んで、自在に意識を書き換えているワケです。

例えば、私の生き方に大きな影響を与えてくれた偉人や有名人がいたとして。

その人になろう!その人に一歩でも近付こうとして、言動を真似たり、服装やライフスタイルをそのテイストっぽいものにする。

すると、何だか自分がワンランクアップしたかのように見えるんですよね。周りからも、カッコイイ!とか、素敵ですね!…などと褒められたりして、自分が別人に生まれ変わったような錯覚をする。

しかし、それは自分そのものなのか?内なる私なのか?と言われると、誰かの模倣だったりして、自分そのものではない感じがする

一方で、「あなたらしいですね」といった表現もありますよね?

「君らしいね」とか、「いかにも、お前らしいな♪」…といった。

「あなたらしい」という一言。

「あなたらしい」…それは、その言葉通りなのですが、私達はその一言を耳にするとき、自分を誇らしく感じる場合もあれば、何だかバカにされたように感じたりすることもあります。

振り返ってみると、僕は、かつて【スゴイ誰か】あるいは【スゴイ何か】になろうとしてたように思います。

何か、スゴイ自分になりたい、そう思われたい…とでも言いましょうか。しかし、そう思って頑張っているときほど、「あなたらしいね」…という一言は、自分を低く評価されたように感じてしまうのです。「所詮、君は君だよね・・・」と見下されているように自分の中では感じてしまう。

(何だと?!…それはつまり、バカにされてるってことか?)…と。

ところが、その一言には、それ以上の意味はありません。

あなたが、どんなに勉強をして、色んな学びを通じて「何か」を目指してみても、厳然たる「あなたらしさ」はあるのです。

例えば、あなたがデザインに惚れて買った車が、シートに座ってハンドルを握った瞬間から、普段目にできる姿はハンドルとダッシュボードだけであり、あなたが車を走らせている姿を直接見ることが決してできないのと同じように、私という存在は、一生、外から私自身を直接見ることができません。

しかし、見えないのなら、外側は無いのか?と問われると、もちろんそんなことはない。

ビルのガラスに映った車体を見て、あなたは自分の愛車に自分が乗ってハンドルを握っているという実感を持つのですね。

私は鏡に映った仮想現実の「私」を見ている。

一方で、鏡に映った姿は、左右が反転しているという事実があります。

それはあなたが【自分】だと思っている姿であり、他者の目に映っている自分とは異なるものです。リバーサルミラーという、左右を反転せずにそのまま見ることのできる特殊な鏡で自分の姿を見ると、最初は、顔の左右の歪みにものすごく違和感を感じると思います。

つまり、鏡越しに見ている自分は、自分の見たい自分の姿(仮想現実)であり、自分そのもの(現実)ではありません。

だから、他者から「あなたらしいね」と言われると、内面(仮想現実)とのギャップに困惑してしまうのです。

そして、再び、同じ問に戻ってきます。「なぜ、私は私自身なのだろうか?」と。

ロゴストロンへ構文を書く、ロゴスプログラミングは、この辺りに視点を置いて書く必要があります。

(次回のポストへ続きます…)

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