二項対立, 仮想現実, 意識進化, 現実創造

姉のおもちゃにはエネルギーが宿る

このところ、毎日娘がキーキー、ギャーギャーと喧嘩するようになりまして。毎日うるさいったら、ありゃしません(汗)。

主に、おもちゃの取り合いで喧嘩になるのですが、子供がおもちゃを取り合う様子って、「現実創造」の側面を良く表しているなと思うところがあり、今日はテーマとして取り上げることにします。

姉のおもちゃが欲しいのはナゼか?

子供のおもちゃって、どんどん溜まりますよね。お菓子のオマケから、いつの間に集めたのか、沢山のガチャガチャに、おびただしい量のぬいぐるみ類、絵本、バッグに、おままごとセットなどの数々…。

子供って、普段はほったらかしているクセに、例えば、姉がクマのぬいぐるみを手にすると、妹が急にそれを欲しがり、姉が気に入っている宝箱を妹が手にすると、姉は全力で取り戻そうとする。

これって、何だか不思議だと思いませんか?どちらも、それを手にする前には、そんなおもちゃがあったことすら忘れていたくらい、どうでも良かったのに、どちらかがそれを手にした瞬間、「ワタシにも貸して!」だったり、「それ返して!」となったり(笑)。

そして、取り合いの喧嘩になるのですが、激しく抵抗するほど、最後はどちらかが泣くか、親に叱られて止めさせられるまで、どんどんヒートアップします。

どういうワケか、収まることがありません。

これは、一体何なのだろう?…と、僕は娘たちの様子を時々観察させてもらっています(笑)。

すると、ある種の傾向が見えてきます。

・元々、二人はテレビなど別のことに興味を持っていて、玩具には全く関心を向けていなかった。

・妹は、姉が楽しそうにある玩具で遊び始めると、妹はそれが欲しくなる。

・姉は、自分が大切にしている玩具を妹が手にすると、それを今すぐ返して欲しいと思う。

 

こんなことは、たかが子供の喧嘩でしょうか?・・・僕は、大人も、ここから大切な何かを学べる気がするのです。

人が意識を向けたモノにはエネルギーが宿る。

僕がその時感じたのは、姉が手にして楽しそうに遊ぶ玩具には、ある種のエネルギーが宿るのではないかということ。

反対に、妹が姉の大切にしている玩具を手にすると、姉は自分のエネルギーの一部を妹に奪われたように感じているのではないかと。

これが何を意味しているか、パっと理解できる方は流石だと思います。両者は「現実創造」をする「意識」の仕組みを端的に表しているのです。

これまで「意識が全てを創造する」という創造のパラダイムについて、コラムでも紹介してきました。

要するに、強い人間原理ですね。「私」が意識を向けたところに、宇宙が突如として立ち現れるのです。

姉も妹も、それまで玩具には目もくれず、テレビを見ていました。しかし、姉が玩具に意識を向けた瞬間に、妹にもそこに「玩具」が現れたのです。

もちろん、「玩具」はずっとそこにありました。しかし、ほんの1分前まで、二人の「現実」には無かったんですね。

ロゴスタディ・ベーシックで詳しく学びますが、「意識」を向けると、そこに「エネルギー」が発生するので、例えば姉がクマのぬいぐるみで遊び始めると、妹の現実にもエネルギーを伴って「(おねえちゃんの持っている)クマのぬいぐるみで遊びたい!」と感じます。

妹の目には、(姉が遊ぶ)「クマのぬいぐるみ」が突如として現れて、それがとても魅力的に映るのです。

クマのぬいぐるみは、他にも2、3体あるのですが、それではダメなんですよね(笑)。いま、姉が手にしている、(それ)が欲しい!のです。

あなたにも、きっと似たような経験があるのではないでしょうか?

人の意識が現実を創造する。

姉の宝箱を妹が手にした時の反応も同じですね。妹が手にすることによって、姉は自分のエネルギーが妹に奪われるような錯覚をします。

実際には、ただ手にしているだけだとしても、姉にとっては、気が気ではない。それを妹から返して貰ったからといって、何をするワケではないのですが、「意識」が宝箱に向いていることで、そこに「現実創造」が起きているのです。

今は、それが「二項対立」している状態ですね。どちらかが勝つまで争います。しかし、向いているのは対象となる玩具への「意識」なので、争うほどに「現実創造」への意識が強化されて、それを手放せなくなってしまいます。

二人は、なぜこれほどまでに自分たちが玩具を巡って争っているか、全く理解できていなでしょう。

例えば、姉が一瞬で執着を手放して、「はい、どうぞ」と言って、あっさり手放してしまったら、妹はそれほど執着せず、すぐその玩具を手放してしまうように見えます。

「(姉が遊んでいる)玩具」という、枕詞の部分に興味があって、どうも、興味の対象が玩具にはそれほど持っていないのです。

 

今は、階層的にも、”自分”、ないし、”自分と他者” という階層でしか認識できていないため、彼女たちには、相手に譲ってあげるという行為が難しいのでしょう。一度、玩具が目に入ってしまうと、その現実創造から逃れるのが難しくなってしまうのです。

…しかし、やがて彼女たちも客観視という視点を学んでしまうと、子供らしい喧嘩もしなくなってしまうんでしょうね。

やかましい!…と思いつつも、あとどのくらい、こんな子供らしい光景を見せてもらえるのかな?そんな思いもあり、いまは、彼女たちのあるがままを楽しみたいと思っています。

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