, 情緒, 意識進化

私たちは離れていても繋がっている

私たちは離れていても繋がっている

娘の話を聞いていると、友達のことを話しているのに、まるで自分のことのように喜んだり、友達を心配しているなと感じることがあります。

素朴な疑問ですが、なぜ、自分のことではないのに、自分事のように、情緒が動くのでしょうね?

パーソナルスペースに不快感を感じるのはナゼ?

これと似たような話しで、パーソナルスペースがあります。

パーソナルスペースとは、人に入られると不快に感じる領域のこと。もう50年以上前に提唱されていた概念ですが、人種や、性別差、人同士の親密さによって違いはあるものの、一定の距離より内側に近づくことがなぜ不快になるのでしょうか。パーソナルスペースの解説を見ても、人と空間の間に何があるかは解説されていません。ただ、距離がある一定を下回ると、不快である・・・と。

パーソナルスペースの不快感は、生理的なものかも知れませんね。近すぎて、暑苦しいとか、うるさいといった(笑)。

一方で、人は離れていても、娘の例のように、そこに思いを馳せるだけで、繋がっているワケです。恋焦がれているなんてのも、そうしたものかも知れませんし、喩えはアレですが、人に恐怖感を覚えているといった事象も、ある意味繋がっていますよね?

その繋いでいる媒体はなんでしょうか?

私たちを繋いでいる媒体は何だろうか?

情報が私たちを繋いでいる。

私たちが離れていても、感情や情緒を動かしているのは、情報です。

情報と言っても、ニュースとか、株価とか、耳寄りなお買い得情報…のような類とは限りません。

例えば、遠くに見える黒い雲を見て、【天気が悪くなりそうだ】という予測を立てる。これも情報ですね。

会話の中で、友人が一瞬眉をひそめるのを見て、(…いま、何か気を悪くしたのではないだろうか?)という感情が私の中に湧いてきます。それは、ほんの一瞬のできごとですが、表情の変化という「情報」を私がキャッチしたものです。

「今日は膝が痛むなぁ…」と感じて、その後、天気予報で低気圧が近づいていることを知ったり。これも、大気の状態という「情報」と、私たちがやんわりと結びついているからに他なりませんね。

私たちは、自然や人、動物、モノなど、あらゆるところから、「情報」を読み取っており、それが、私たちの意識の内面と緊密に連動しています。

それがあまりにも自然に行われているので、その対応をしている自分に気付かないだけです。

 

なんだか、ムっとして見える表情の彼女に向かって「あれ?もしかして怒ってる?」と聞いた時、「何も怒ってないよ!」…は、明らかに怒ってるサインですよね(笑)。

実は、ずーっと、私たちはそうした外界の「情報」を受け取っていて、それに対応しながら生きているのですが、そのセンサーを研ぎ澄ませるほどに、やがて距離を超えて、私たちは繋がっているということに気付くと思います。

ロゴストロンは時空を超えて私たちを繋ぐ

ロゴストロンで繋がりを創造する。

ロゴストロンという装置を使っていると、誰かのことを考えた瞬間、その人から電話が掛かってきたり、何かの事業を始めるときに、その要件にピッタリの人が唐突に現れたり、たまたま同じ電車に話しをしたい人が乗っているとか、不思議なことが沢山起きてきます。

僕自身も、(あの人と久々に話したいなぁ…)と考えていたら、東京のど真ん中で、横断歩道の隣にその人が居合わせたとか、もの凄く手間の掛かるはずのタスクが、あっという間に話しがついてしまったり、なぜかブラインド交差点の向こうからは突っ込んでくる車を予見して事故を未然に回避できたなど、まぁ、うまく説明できないけれど、タイミングが合ってて助かった!…と思うことはこれまで何度となく経験しています。

そのシンクロニシティについては「場」の共有ということをこれまでもお伝えしていますが、例えばYoutubeのこんな動画でも感じが掴めると思います。

風見鶏ではありませんが、意志を出すことによって、同じ方向を向いている人やモノが自然と揃うイメージですね。LOGOSOUNDなども、音を通じておなじことを、やっていると捉えると分かりやすいです。

 

 

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