ロゴストロン, 現実創造

言葉どおりの現実になっている。

その言葉。現実化していますよ?

最近思うのですが、結局、【現実】は【言葉】によってできているのだとつくづく感じています。

たとえば、いまこの文章を打っているパソコンだって、これを作るためには言葉が必要なのが分かりますか?

言葉でパソコンもできているだって?!

こんな事を書いたら、「おいおい!何言ってるんだ?パソコンがあるのは、LSIやマイクロプロセッサ、数々のテクノロジーなどのお陰だろう?」などとお叱りを受けそうです。

…いや、もちろん、テクノロジーは必要です。それを否定しているのではなく、その概念を規定する言葉があるハズです。

テクノロジーってのは何だ?LSIってのは何だ?コンピュータとは一体何なのだ??と、最初に定義を作っているのは「言葉」ですよね?

例えば、僕が「あなたのノートパソコンを持ってきて!」と誰かにお願いしたとき、相手が「腕時計」を持ってきたら、まるで話が噛み合いません。「それ」に付けられた名称によって共通認識を持っているから、私たちはコミュニケーションが成り立ち、同じ目的を持って仕事をしたり、「言葉」でできている目標に向けて力を発揮できるワケです。

つまり、現実創造する手前には、それを認識するための「言葉」が必ずある、と。

お天道様は見ているよ。

子供の頃、「神様は見ているよ」であるとか、「お天道様は見ているよ」と叱られたり、諭されたりした経験は無いでしょうか。

現代は、インターネットによる監視社会なので、世の中に対して、自分本位な行動を取れば、インターネットで痛烈な批判を受けるようになりました。

それなら、見られていなければ何をやったって構わない…ということではなく、たとえ一人であっても、やましいことなく、胸を張って生きていられるように、「お天道様は見ているよ」と諭したのだと思います。

さて、この「お天道様」に対して素朴な疑問がでてきます。

なぜ、「太陽」ではないのでしょうか?

お天道様は、いつだって私たちを見ている。

なぜ「太陽は見ているよ」ではないのだろう??

なぜ、「お天道様」なんでしょうね?「太陽」ではなく。

実は、ここがキモではないかと思います。

「お天道様(=天照大御神)が見ている」から意味があるんですよね。

神の名を出すことによって、遥か遠くにいる天空から、私の行いなど全て見られてしまっている…だから、悪いことなんてできない!…という解釈に至るまで、「お天道様」という名前でその働きを引っ張り出しているんですよ。

しかし、その働きを引っ張り出しているフックは何か?と問われるなら、それは「言葉」なワケです。

言葉によって、働きが規定されるのですね。

ロゴストロンと言葉の関係

言葉によって私たちは「モノ」を認識します。「モノ」とは、”物” であったり、”目には見えない概念” だったりしますが、その認識には「言葉」を主に使っています。

「事業に成功したい!」という構文を作成する場合も、【成功の定義】には、すべて「言葉」が必要です。

言葉で規定することによって、そこ(言葉で定義した対象)へ意識が向き、エネルギーが集まり、シンクロが起きて、やがて【言】が【事】となります。

これは、逆も真なりなんですよね。つまり、構文を発した結果、自分がどう感じているかを耳を澄ませて、胸に手を当てて、自分の「声」を感じてみることです。

ロゴストロンは、「意識のホログラフィック装置」などとロゴスタディでは習いますが、実現しない構文についても、「自分が納得していない」であるとか、「実現しないんじゃないの??」と疑っているといった言葉が自分の内側にあるハズで、その意識が実現している、ということです。

これは、ロゴストロンでプラスの言葉を使わなければなりません・・・ということではなく、ロゴストロンにセットする言葉や構文を通じて、自分がどう感じているか、その自分の内側に広がる声には注意しておきましょうねということです。

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