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親と子供の存在に感謝をする

親や子、家族の存在に感謝をしていますか?

僕はまだ4、5歳だった頃に両親が離婚し、子供の頃はちょっと複雑な家庭環境に育ちました。

成人になるまでは、ずっと自分に何かが欠落しているように感じていたと思います。

それでも親と子は繋がっている。

思えば、僕の祖母も若くして病気で亡くなり、祖父母もちょっと複雑な事情を持っていました。それが当たり前でしたし、特に自分の家族に対して劣等感を頂いたりといったことは無いのですが、子供の頃は友達にはお父さんがいることをちょっと羨ましく思ったものです…。

しかし、たとえ家庭の状況がどうあれ「親と子はしっかりと繋がっているんだ!」それがある日僕が気づいたことでした。 意識進化を通じて、僕が知った一番の学びなのかも知れません。

私という存在には、2人の両親がいて。

2人の両親には4人の祖父母がいて。

4人の祖父母には8人の曾祖父母、その上には16人の高祖父母がいます。

10代遡ると、1024人の祖先がいて、その誰一人が欠けても「私」は存在しません。

それが、また次の世代へと命が受け継がれてゆく…。

やがて、私の命はどこかで尽きるのでしょうけれど、それがどんな形であれ、命のバトンを渡し続けてきたこと、その先祖を代表させて今を生きていることににもの凄い奇跡を感じずにはいられないのです。

家族は固い絆で結ばれている。

家族は固い絆で結ばれている

僕は姉と共に母子家庭で育ったので、母はことあるごとに父のことを悪く言っていましたが、以前の投稿にも書いたように、本質的には、「良い人」も「悪い人」といったものは無いんじゃないかと僕は思います。

僕の母は、父と若くして離婚しましたが、ある年齢を過ぎてから、友達としてはとても仲良くなっています(笑)。

人は、今世での使命を終えて死を迎える時に、誰かといがみ合っていたとか、何の意味も成さないことに気付くんですよね、…きっと。

僕は、母も父も「困った人だなぁ…(笑)」とは思いますが、必要以上に嫌悪感を抱いたり、避けたりということはなくなりました。両親がいてくれたお陰で、いまの僕は存在し、僕が子供の笑顔を眺めていられるのも、両親や祖先の存在無くしてはありえないのです。意識進化を学ばなければ、こんな気付きは得られなかったように思います。

そうやって、もっともっと全体を俯瞰していくと、人類や生命というものが根源的に1つであるということが見えてきませんか?

一見、迷惑に思える近隣諸国の話題も、その国々の人たちは、私達と同じように日々を一生懸命生きているハズです。

もちろん、意志の出し方、意識の扱い方に問題があるので、それは鎮魂し、最適化する必要がありますが、支配・被支配という関係を超えた新しい社会を人類は構築できるであろうと僕は確信しています。

受け継いできた命を子供にどう引き継ぐか?

私の命を子供にどう引き継ぐか?

僕は、自分が親になってみて気付いたこととして、自分の命よりも子供の命の方が遥かに大切だなと感じています。

先日、休日に家族とキャンプに出かけたのですが、子供が小川に渡された木の橋から落っこちて、頭を二針縫うケガを負うというできごとがありました。

それを通じて、改めて自分が本質的に守るべきものは何だろうか。自分が残さなければならないものは何だろうか?と問われた気がしました。

禁欲に生きろ、一切の快楽を求めるべきではない・・・ということではありません。人間らしく生きて大いに結構だと思います。むしろ、子供にも安全な橋を渡ることだけ教えるのではなくて、人生に幅があることをしっかり伝えて、そこから取捨選択できる子供に育って欲しいと思っています。

そのために、僕にできることは、家族という存在を大切にすること。親を邪険に扱ったり、子供に八つ当たりしたりしないこと。自分のありようを常に整えて、家族に対して平等に接してあげることでしょうか。

自分の意識のありようが、子供に伝播することを肝に銘じて、日々を生きていくことが僕にできることなのかな?と思う今日このごろです。

かくいう僕も、聖人君子になどなれるハズもなく、意識進化といっても、しょっちゅう生き方には迷っています(笑)。家族の存在に感謝し、親にも子にも胸を張って生きていられるよう、日々自分のありようを整えなければならないですね。意識進化の旅はまだまだ続くようです。

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