ロゴストロン, 最適化

ロゴストロンの最適化はいつまで必要か?

ロゴストロンの最適化はいつまで必要か?

ロゴスプログラミングに毎回登場するキーワード【最適化】。この「最適化」って、一体何でしょうね?

構文はいつまで発信しておけば良いのか?「最適化」されたかどうかどうやって知るのか、いつまで最適化をし続けるのか?考えてみたことはありますか?

ロゴストロンの最適化はミクロとマクロ

ロゴストロンで最高の結果を求めてはならないことについては、以前のコラムでも触れてきました。ココとか、ココで。

ついつい「最高の結果!」…と書きたくなるけれど、自分の現状に合わせて、バランスのとれた成功を発信するのが上手な使い方ということでしたね。

例えば、イベントで「最適」な集客ができた、「最適」な売上を達成した、「最適」な健康バランスとなった、「最適」なパートナーと巡り合った、「最適」な人と結婚した、「最適」な仕事に就いた、「最適」な学校へと進学した、「最適」な収入を得た・・・など、多種多様な分野において、「最適」という表現が可能です。

これらは、1つ1つがイベント単位なのが分かりますか?いわば、ミクロでの最適化です。

ミクロの最適化は「点」であるのが分かるでしょうか?例えば「最適」な集客は、あるイベントという「点」で起こります。

その問題が無事に解決すると「最適化」されたという記憶としてのみ残り、そのミクロの問題は過去へと消えてゆきます。健康バランスなども実はそうですよね?ある瞬間においては、体調などが「最適」になっても、それは「点」で起きており、時間の経過と共にまた状況は変わってしまいます。

健康系の場合、そうした一過性では困りますから、「最適な状態を保ち続けた」といった書き方の工夫をするワケです。

一方で、私たちが抱えている問題というものは、こうしたミクロのレベルで見ると、ほぼ毎日のように起きています。

鼻の頭にできてしまったニキビの問題から、家族の健康という問題、自分が住む地域を暮らしやすくしたいという問題、食の安全を守りたいという問題、地球環境を守りたいという問題まで。「ヤンマー」の歌ではありませんが、小さなものから大きなものまで動かす力が私たちには必要ですね(笑)。

ロゴストロンを取り巻くカオス

ロゴストロンを取り巻くカオス

私たちを取り巻く現実世界はカオス(混沌)そのものです。その中で、個々のミクロを最適化していると言えます。

もし、そのカオスが理路整然と整ってきたら。私たち人類が一斉にロゴストロンを使って意識進化することで、こうしたカオスは解消され「最適化」されるのでしょうか?

カオスは最適化されるのだろうか?

↑私たちを取り巻くカオスはこの美しい建築のように、やがて最適化されると思いますか?

ロゴストロンを使って意志を発信しても、世界を取り巻く全てが理路整然と整って「最適化」されることはない。少なくとも僕はそう思っています。

それは、ロゴストロンがどれほど普及しても…です。

前述の通り「ミクロ」の最適化は、「点」において起こると書きました。

例えば、「健康の最適化」を発信して、それが達成されたとしても、私たちが時間を伴って生きている以上、それは永続的ではありませんね。

20年前に使っていた健康法が、そのまま今の自分に使えるか?殆どの方は「NO!」だと思います。

この単純な事実が示すことは「最適化」とは「点」であり、常に最適化し続けて行くことが私たちには必要だからです。

ロゴストロンで感情は消えない

ロゴストロンで感情は消えない

五階層という話しをしているので、ロゴストロンで現実創造を起こすには、「情緒」の階層は超えていくのですが、”情緒バランス” のようなベーシック構文を発したからといって、情緒が消えて仏のようになるワケではありません。・・・ここは、たまに誤解されていらっしゃる方がいるようです(笑)。

情緒が完全に止まっているのだとしたら、それは単に人として死んでいる状態ですよね。私たちは生きている限り、身体にエネルギーは流れているのですから、その瞬間の状況に合わせて動けるからこそ「最適化」なハズです。

つまり、”情緒バランス” は何をしているのかというと、メトロノームの針が止まっている時には、中心に戻るように、情緒が一方向に張り付かないようにバランスを取っています。統合された状態といったら分かりますか?これは、情緒が無くなることではありません。

うつ状態や、極端に怒りが収まらないなど、一方向にずっと振れている状態では、意識がどうしても偏ってしまいます。極端に落ち込んでいる時とか、怒りに打ち震えている時って、自分の情緒を自由に扱えないですよね?そうすると、情の階層を超えられません。

でも、必要な時に笑ったり、泣いたり、怒ったりという感情を出せなければ、様々な状況を最適化することもまたできません

つまり、「情」は必要なものであり、無くすものではありません。バランスを取ること。

瞬間は感情を出しても、そこに張り付くことなく、すぐに元へと戻ること、その状態を自分の中に持つことが「最適化」だと言えます。

これは、「点」で発動しますが、同時に「線」であり、継続的であるのが分かりますね。

ロゴストロンと共にバランスを取る

ロゴストロンと共に「最適化」は続く

結局のところ、その時々に必要な最適化は続くと思っています。日常におけるミクロの問題においては、構文の実現が「最適化」ですが、これを多くの人々が実践してゆくことで、写真の葉が美しい模様を描ているように、あるバランスを見つけて推移するのだと思います。すなわちマクロでの「最適化」ですね。

ヨガなどで、身体の使い方を「最適化」してゆくのも、こうした自然のサイクル、生命のバランスといった根源的なものに「最適化」しているのではないでしょうか。

私たちはより良い世の中を志向しているからこそ、世の中は「最適化」が続いていきます。過去の過ちを受け入れ、そこから学んでまた次へと進むしかないですよね。だから、より便利なものが生まれ、そして、環境問題も少しずつ解消しようと、人の意識は「最適化」が続くのです。

さて、「私」というミクロの「最適化」が進んでくると、「私」を次第に手放せることが分かってきます。

「私」の命には限りがあり、日一日と、ゆっくりと衰えていきます。その中で、自分が莫大な富や、際限の無い美を求めてもキリがありません。その最適化がどこにあるのかは、いずれで書こうと思いますが、一言で言うなら「最適化は自分の中にある」ことの深い意味が分かってくるのです。

「最適化」は文字通り、自分のバランスが取れている状態。やじろべえが中心でどの方向にも自由に動けるような 「中心」のこと。

自分というミクロの「最適化」を行い「中心」が分かると、「私」はいつでも最適化できることが分かってきます。「私」を終わらせて、自分にとって、何を「最適化」するのか?というマクロ(公)の視点が出てきます。

そのマクロの「最適化」は同時にミクロの「最適化」でもあります。単なるボランティアなどと違って、自らの活動が「公」と「私」を結んでいることが良く分かって来ると思います。

そうすると、ブレないですよね?

仕事や、プライベートが目まぐるしく変わった場合。例えば、サーフィンのように、頭で考えていたのでは一瞬で転倒してしまいますが、何が「最適」かを捉えて、同時に身体が反応していれば、常に起こる問題を自分の中で統合しながら進めるハズです。

実は、先日ある方とお話をした時に、ロゴストロンが置きっぱなしの文鎮化していることを知りまして…。他の方もそうなっているんじゃないかと思い、今日は「最適化」が継続的に必要というお話をさせていただきました。

最適化は常に怠らないでください。そのためには、口を酸っぱくして言い続けますが、ロゴLならスタンダードプラン以上です!

出会う人、情報、自分の意識の使い方が全く変わってきますので。

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