意識進化

情報量について考えてみる

情報量の推移について考えてみる

今朝、鎮魂中にふと思いました。・・・それは、ずい分と古い話になりますが、この35年間で100万倍になったものがあります。

16K → 16M → 16G。これだけ聞いてピンと来た方はスルドイ(笑)。パソコンのメモリ(主記憶装置)の容量です。さて、ここから思ったことを今日は綴ってみたいと思います。

黎明期のパソコンは16Kのメモリ。

僕がまだ小学生だった頃。世の中にパソコンというものが現れて、いわゆる第一次パソコンブームに沸いた時期がありました。

1980年頃、当時はメモリというコンピュータのチップは非常に高価だった時代で、パソコンに記憶できるデータ量はわずか16KB(キロバイト)ほどでした。

16KBと言われても全くピンと来ない方が大半ですよね?16KBとは、半角の英数字で約16,000字。日本語の全角文字だと約8,000字ほど。ロゴストロンLの構文が最大で3000字ですから、せいぜい2~3ファイル程度の情報量しか保持することができませんでした。

時は流れて1995年。Windows 95の登場に世間が沸いていた頃、パソコンのメモリ容量はその1,000倍にあたる16MB(メガバイト)にまで増えていました。16MBをKBに直すと、約16,000KB。英字なら約1,600万文字。日本語なら約800万文字。

何だか数字だけ聞くと、もの凄く爆発的に扱えるデータ量が増えたような気がしますが、今どきのスマホで撮った画像ならせいぜい2~3枚分の情報量に過ぎません。

そこから更に20年が経って、Windows 10やmacOS Xのパソコンに搭載されているメモリ量は16GB(ギガバイト)程度を搭載するものがザラになりました。

16GBは、16,000MBであり、16,000,000KBです。つまり、35年間を掛けてパソコンのメモリは100万倍にまで膨れ上がっています。これからもこのメモリ容量はもっと増えていくだろうと思います。

さて、例えばマイクロロゴストロンは64GBというデータを格納することができますね。一方で、1980年代の記憶媒体と言えば、フロッピーディスクはまだまだ高嶺の花だった頃で、当時子供だった僕はカセットテープに情報を記録していました。

それがどれくらい緩かったかと言えば、今で言うならスマホで写真画像を1枚開くのに30分くらい待つようなイメージです。

いまどき、もしそんなに写真を開くのが遅かったら、スマホを叩き割っているでしょうね(笑)。

情報量が増えて、何が変わるの?

情報量が増えて、何が変わるの?

さて、細かい単位の話はさておき、情報量が飛躍的に増えていることは何となく分かったと思います。

では、情報量が増えたことで、写真が一杯開いてもパソコンの処理が重くならないとか、そういうこともありますが、私たちにとって、本質的には一体何がどう変わったのでしょうか??ちょっと気になりませんか?

次の3つの画像を見比べて下さい。

上記の画像は、いずれも同じハンバーガーの写真を掲載していますが、1枚目のものはハンバーガーであるかを判別するのも困難なグラフィック画像。

2枚目は目を細めれば辛うじてハンバーガーだと分かるレベル。まるで、カラー液晶になった黎明期のガラケーのようですね。3枚目の画像は今どきの高画質なデジタルカメラで撮影したフルカラーの画像です。

3枚目はもう、深夜にこれを見てしまったらお腹が鳴ってしまうレベル。ハンバーガーテロですな(笑)。

・・・さて、この3枚の画像を見比べて、何か気が付きませんか?

画像の色数が増えて、メッシュが細かくなり、高精細になった結果、画像に対して、より明確なリアリティを感じたはずです。

実際に、ハンバーガーが食べたくなったり、お腹が鳴ったり、我慢できない人はハンバーガーを食べに出かけてしまうかも知れません。

 

重要なことは、単に画像だからリアリティが強くなった・・・ということではないんですね。

あらゆる情報量が増えたことによって、”情報” に対するリアリティが増すのです。昔から「百聞は一見に如かず」と言いますね。

現代はスマホがあるために、地球の裏側で起きた事件ですら、「百聞は一見に如かず」を毎日体験できてしまう。

情報量が飛躍的に増えたことで、地球全体や宇宙にまで意識が広がっている状態とさえ言えるのです。

情報量の増大は世界のルールを変える

1999年に登場した懐かしいi-modeケータイは、2006年にそのピークを迎え、ユーザー数は4500万人もいたと言います。

NTTドコモは、当時のアプリ配信から多額の収益を得ていました。1つのコンテンツで315円とか420円を徴収し、それが5本、10本と知らぬ間に課金が増えていて、何だかよく分からないけれど、毎月ケータイ代に1万円以上を払っていた…という人も多かったと思います。

ところが、ご存知の通り現在その立ち位置にいるのは、Appleであり、Googleに取って代わっています。

町の◯◯商店は、気づけば全てコンビニになり、小さな八百屋や魚屋、肉屋はスーパーになり、書籍や文房具、家電類などは、その殆どがAmazonが最安値です。

コンビニやスーパーなどのチェーン店、フランチャイズ店は、現実の世界における販売網が最適化された姿。そして、インターネット上のネットショップサイトは、その最適化がインターネット空間にまで及んでいます。

インターネット上の空間に大量の情報が流通することで、人々の意識は「家にいながらにして」「時短で」「安くて」「早い」「同じものが買える」ことにリアリティを持ち、購買の体験そのものを変えてしまっています。

僕の1つ年下の従兄弟は、ある70年以上続く老舗の三代目を務めていますが、今や風前の灯火です。

初代の祖父は、高度経済成長期に年商ン十億を販売する商売の達人でした。二代目の伯父になった時にはバブルも終わっていて、その流れが大きく傾き、三代目の従兄弟に社長を交代する時、僕は「インターネットに展開して、リアル店舗とインターネットの両輪で行くべきだ!」と何度も何度も助言したのを思い出します。

「これからは、街の商店がコンビニに変わったように、商売の主軸はインターネットに移っていく。知らぬ間に顧客はネットに流れて、同じ商品は安いところで買うように購買のパターンが変化して行くから、オリジナルの商品を作って、それをインターネット上で展開して行かないと、いずれ手遅れになってしまうよ・・・」と。

僕には、ありありとその先の状況まで良く見えていたのですが、従兄弟には分からなかった。彼が見ていたのは、前出のモザイク画のようなハンバーガーしか見えていなかったのです。いわゆる、デジタルデバイド(情報格差)ですね。

自分の展開するビジネスに対して、仕入れる情報があまりにも少ないと、全体で何がどう展開しているのかが見えなくなってしまう。

僕が子供だった頃、数十人は社員がいた祖父の会社は、今やわずか数名にまで激減し、従兄弟は自分の身に何が起きているのかを正確に把握できずにいます。

人口動態の変化、地域の過疎化に伴う需要の激減、インターネット、スマホの台頭による購買パターンの変化。それに加えて、自分のビジネスをどう展開するか?何は変えずに、何を変えるか?

16KBのメモリ空間ではもう戦える時代はとっくに終わっています。今の時代に合わせて、16GBまでメモリ空間を広げ、精緻に情報を把握しなければなりません。

僕の従兄弟は、情報のメッシュが粗すぎるあまり、正確に現実(中今)に展開していることを把握できていないのです。

情報の中に普遍性を見出す。

情報の中に普遍性を見出す。

以前、長谷先生の健康講座だったか、「カイロプラクティックの技術をそのまま現代人に使ってもあまり効果がない」というお話を聞いたことがあります。参加された方は、憶えていらっしゃるかも知れません。

カイロプラクティック自体が無効な技術…ということではなくて、これが発明された1895年当時と、120年以上経った現代では、人々が情報から受ける影響が大きく、当時のテクニックをそのまま持ってきたところで、あまり効果がない・・・というお話でした。

例えば、中国からPM2.5クラスの微粒子が飛んでくる!…という情報を耳にすれば、マスクを買いに走ったり、外出を控えたり、空気清浄機を回したりと、私たちの日常行動に影響しますよね?

情報によって、「私の意識」が自分の住んでいる地域から世界規模に広がったことで、私たちは常に情報からの影響を受けているのです。現実にはPM2.5が目に見えなくても、情報によって、脳内ホルモンのバランスを変化させ、興奮したり、冷静さを欠いたり、落ち込んだり、具合が悪くなったりと、情報により身体症状を伴って、私たちに変化をもたらしています。

つまり、現代人は常に情報から影響を受けており、「情報」の影響を取り除くには、ただ120年以上前の手技を持ってきて身体に触れてもダメですよと長谷先生は言っているワケです。

これは、もう一歩進めて、裏を返してみると、多くの情報の中にはある種の普遍性が含まれていることを示しています。

古くても、ずっと使われ続けるもの。昔から変わらず、今も必要とされる職人技、流行り廃りのない定番の洋服、地味だけど潰れないビジネスなど、多少の変化はあっても、情報を細かく見ていくほどに、その中には普遍性を帯びた情報が含まれていることに気付きます。

普遍性の究極は言霊(げんれい)ですよね。それを装置に応用したロゴストロンは、ちょっとやそっとじゃ廃れたりする類のものではないことが分かります。僕らは、その普遍性、つまり「原理」をロゴストロンを通じて利用すれば良いのであって、殆どの人にとって、「言霊」そのものを解き明かす必要は無いように思います。

一方で、情報の普遍性を現実社会のレベルにまで落とした時、その中にも様々な情報が飛び交っていますから、色々な情報に振り回されないよう、自分の見た情報に、前述の(潰れないビジネスのような)普遍性があるかを見極める必要はあると思います。

例えば、冬になればインフルエンザが話題になりますよね?詳しくは、このYoutube動画に委ねますが、情報を詳しく見ていかないと、表に流れている情報に流されてしまうワケです。先日はテレビで亜麻仁油を宣伝したら、スーパーから軒並み亜麻仁油が消えた!というニュースをネットで見ましたが、それなんかも上辺の情報に振り回されている状態ですよね。

自分自身で情報の普遍性を判断できていないのです。裏に誰かの意図が絡んでいないだろうか?透明性があるだろうか?と、階層性が判断できないから、テレビで報道される程度の情報も、青々と生い茂って見えるのかも知れません。

情報が増える事自体は悪いことではありません。それは、前出のハンバーガーの画像が示している通りです。
情報が増えているということは、本来喜ばしいことだと思います。

なぜなら、情報が増えることで世界をより正確に捉えることができるようになり、それが増えていくことで、自在に情報を組み合わせて、ビジネスに応用したり、最適な健康法を開発したり、自分に不要な行動を避けたりといった具合に、私たちの意識進化と行動の最適化を飛躍的に広げていくからです。

ある卓越したビジネスセンスを持つ方は、マンガ本を読んでいるだけでその中にビジネスのヒントを次々と見つけられると言います。僕もその考えには賛成です。情報とはマンガだから使えないといったことなどなく、本来自在に組み合わせが可能なものであり、何を見ていても、あらゆる行動・事象・自然現象から、別の問題に対する答えを導き出すことができるものです。それは、産霊の働きだからですね。

七沢先生が、長年情緒の研究をされていたことや、チャイルドアーツ・アカデミーで、子供に里山の体験をさせたい…という理由もこの辺りにあるのだと思います。

断捨離のように、情報をシャットアウトすることが、振り回されない生き方のように言われて久しいですが、振り回されないための軸は祓いや鎮魂があれば十分であり、その状態で外界の「情報」に接していれば、情報の普遍性・階層性は見抜けると思います。

増え続ける情報は、本来、世界を正確(最適)に捉える武器であり、神である所以なのです。

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